「牧師室より」

〈2017年10月29日週報より〉

 誰の言葉によるものでもない、教会は聖書の言葉によって導かれる。

 時々、聖書の箇所について「これはどういう意味か?」と訊かれることがある。すぐに答えられることはほとんどないが、嬉しいものだ。聖書を勉強し始めて40数年経っても聖書には意味の分からないことばかりだ。分からないことに取り組んでいる人に出会うのは嬉しいものだ。その人は神様と取っ組み合いをしていると思う。

 先週の高橋優輝神学生が選んだ聖書の箇所、今週の岡直子さんの選んだ箇所、事前準備で読んでみてもよく分からない。この箇所をどのように解釈されるのか、説教を伺うのがとても楽しみだ。

 

〈2017年10月29日週報より〉

 誰の言葉によるものでもない、教会は聖書の言葉によって導かれる。

 時々、聖書の個所について「これはどういう意味か?」と訊かれることがある。すぐに答えられることはほとんどないが、嬉しいものだ。聖書を勉強し始めて40年数年経っても聖書には意味の分からないことばかりだ。分からないことに取り組んでいる人に出会うのは嬉しいものだ。その人は神様と取っ組み合いをしていると思う。

 先週の高橋優輝神学生が選らんだ聖書の個所、今週の岡直子さんの選んだ箇所、事前準備で読んでみてもよく分からない。この個所をどのように解釈されるのか、説教を伺うのがとても楽しみだ。

〈2017年8月20日週報より〉

 1943年11月24日、第二回日本基督教団総会は軍用機献納の決議をした。教団は陸軍と海軍の航空隊に2機づつ戦闘機(99式艦上爆撃機)を献納した。最近、この献金運動の中間領収報告書(1944年10月)が秋田楢山教会に保管されていたことが判り、大久保正禎先生からその資料を頂いた。献金運動を始めて約1年後、この時の献金総額は952,620円85銭だった。10万円で豪邸が買えた。米価の変動を基準に計算すると、この額は現在の金額で8億7千万円ほどになる。

 教団がした戦争協力の歴史が分かれば分かるほど厭になってくる。しかし、教団の歴史に責任を持つものとして、この歴史は無かったことにはできない。「二度と、この歴史は繰り返すまい」と思う。

 

〈2017年8月13日週報より〉

 8月9日、伊豆の下田からさらに西に40分走ったところの松崎町へ。初めて行く伊豆です。

その町の平和市民集会で「核兵器の廃絶を目指して~出会った人々に変えられて」という題で話をしてきました。教会の主催なので「10~20人来ればよいかなぁ」と思っていたのですが、たくさんの町の方々が来てくださいました。7000人の町の平和集会で参加数40人はすごい。「一発勝負ではなく、普段から地道に平和の取り組みをして町の方々と交流があるから、こんなにたくさんの方々が来てくれるのだな」と思いました。

 電車の中で原爆投下の11時2分、毎年のように黙祷をしました。全世界から核兵器がなくなりますように。

 

〈2017年8月6日週報より〉

 「一生行くことはないだろう」と思っていた佐渡島に行くことができた。新潟地区教師研修会で話を終えて、佐渡金山に案内してもらった。金山は1601年から1989年まで388年間も続き、坑道の総延長は400㎞に及んだ。どれほどの人達がここで働いたのだろうか。金山の難題は排水であった。その「水替人足」として、全国各地で「無宿人」が狩り集められ、金山に送り込まれ、坑内の奥底で命を落とした。無宿人であるから、命を落としても構わないとの扱いであったのだろう。光り輝く金の、悲しい歴史を思った。

 

〈2017年7月2日週報より〉

 先週、月曜日から水曜日まで100人ほどが集まった教団部落解放センター主催の全国会議に出席した。「アイヌモシリ〈人間の静かな大地;北海道のこと)で差別を考える」というテーマで北海道におけるアイヌ民族の歴史を学んだ。北大医学部教授の児玉作左衛門が約5000体のアイヌ骨格標本・埋葬品を収集し北大に保管されている問題で、アイヌ民族側が原告となった裁判の報告が印象的だった。「わたしたち和人にとって、アイヌは未だに研究や観光の対象でしかなく、本当にシサム(隣人)になっていないのではないか」と、勉強しながら思った。

 

〈2017年6月4日〉

 教区総会の日、電車に乗ってから、「あれ?」と、左手におにぎりをひとつ持っているのに気が付いた。さっき、八幡宿駅の売店で買い物をした時におにぎりを左手に持っているのを忘れて代金を払ってなかった。次の日売店に行き、事情を話して113円を払った。店員さんが「わざわざ、すみません。ありがとうございます」わたしが「いやいや」。どっちが万引き犯なのか分からない会話だった。

 誰かが見ていて「万引きだ」と言われても弁明できない状態だったはずだ。不思議に守られていたことに感謝。

 

〈2017年5月21日週報より〉

 友人の牧師が、「子どもの学費100万円の工面に苦労しているのだが、数万円のカメラを買いたいのだ」とフェイスブックに書いていたので、「会堂建築の費用6000万円。今日はコンビニで140円のカフェラテを買うか、どうするか迷った。たぶん、6000万円には大して影響ないのだろうけど、カフェラテ買わないで家に帰ってコーヒー飲んだ」そう書いたら、「山本先生、教会会計や献金の場合は、140円が6000万円になると思います(^^)うちは、建築費用8000万、教会員40人。割り算すれば、ひとり200万ですが、実際は、140円が積もり積もったのでしょう」と返事が来た。「その通りだ」と思った。6000万円がいつも気になっていること、祈っていることが大切なのだろう。

 ところで彼はカメラを買うことができたのだろうか?

 

〈2017年2月19日週報より〉

 先週月曜日から2日間、教団部落解放センターの運営委員会に出席した。この会議に出席する度に、部落解放とは被差別部落の解放ばかりではなく、人間すべての人々の、囲われているものからの解放をめざしていることを感じる。30名ほどの出席メンバーにその気概を感じる会議だった。

 

〈2016年10月2日週報より〉

 週報のナンバーが今朝で№26になった。年度の終わりが№52だから、今朝で今年度の半分が終わろうとしている。早いものだ。昨年末の術後検査の為に入院したベットで、年度の後半も命が与えられていることを感謝しながら丁寧に一日一日を過ごしたいものだと思った。

 

〈2016年9月4日週報より〉

 今年の夏休みも弟に会うために北海道の浦河に行った。統合失調症の方々が町で暮らすことを試みる

”浦河べてる”のメンバーの一人として元気にたのしく暮らしているのを見て安心した。夜中に彼の部屋に行き、彼が長年苦しめられている「電気虐待器」の話をゆっくり聞くことができた。とてつもなく非現実的な話だが、なんとなく彼が何のことを言っているのか分かるような気がした。

 

〈2016年8月21日週報より〉

 先週お配りした「会堂建築献金を始めましょう」の草案を書いて、最後に「会堂建築は、さまざまな困難に直面する決して容易な事業ではありません。しかし、主の宣教の業を積極的に推し進めようとするわたしたちを、主は必ず守り導いてくださいます。」と書き終え、「ああ、神様!」と思った。

 叱られるかもしれないが、会堂建築をする度に「この業は、神様のソロバンというものがあって、わたしたちの計算を超えたものがある」と実感する。

「ここには5つのパンと2匹の魚しかありません」と言った弟子に、イエスは「それをここに持ってきなさい」と言われ、それを祝福されて5千人が満腹する。そんなことが会堂建築に起こる。「この世に仕える」ことをわたしたちが全うしたときに、必ず神様はその為の場を与えてくださることを信じてこの業を始めましょう。

 

〈2016年7月17日週報より〉

 先週の前半は、教団の部落解放センター委員会の為に沖縄に居た。11日の早朝、東村高江にある米軍ヘリパット基地に建築資材が持ち込まれたことから、委員会をたった1日、深夜の11までに済ませ、朝6時からヘリパット基地前の座り込みにでかけた。

 ゲート前で、北海道の平和運動とは違ってなにか統率がとれている感じがしないのだが、見事に押し際と引き際のタイミングを心得た座り込みの人たちが機動隊とやり合っているのをぼんやり眺めながら、ときどきはその小競り合いに参戦しながら、「千葉に戻って、あれは沖縄のこととしてしまうのは、あまりにも恥ずかしい」と思った。沖縄が頑張ればなんとかなる問題ではなく、沖縄に基地を押し付けているアメリカの極東戦略と日本全体の問題なのだと思った。

〈2016年7月3日週報より〉

 千葉支区伝道協議会の後、10月9日~10日に行う「被災地を巡る旅」の企画書を作るために、仙台に出かけた。津波で一帯が被害にあった仙台市の荒浜地区は今も家が点々と立っているだけだ。

 東北教区がここにボランティアに入るには苦労があった。古い集落であった荒浜地区の人々は外部から

人が入るのを嫌った。N牧師が避難所に粘り強く毎日通い、だんだんと信頼を得て、今はわたしが「日本キリスト教団です」と挨拶すると「あ、ご苦労様」と答えてくれる。

 東北教区に寄って被災者支援センターの佐藤真史牧師と夕食を取った。来春教団は支援活動から撤退し、東北教区が独自に活動を継続するという。「ま、しょうがないすよ」と佐藤牧師が言った。わたしたちがだんだんと被災地の人たちを忘れていくことを申し訳なく思った。

 

〈2016年5月8日週報より〉

先週の木曜日、他教区の学習会であったが、「財政から見た教団の歩み」というテーマと戒能信生先生が講師であることに惹かれて狭山市まででかけた。
 教団設立時(1942年)から2014年までの信徒数、礼拝出席数、経常収支などのデータによって教団の動向が分析された。信徒総数は1947年に11万人であったのが増加を続け、1992年に207521人となり、以後減少しはじめて2014年度には173672人となっている。信徒数とは別帳会員を含むので、現住陪餐会員数は常に信徒数のほぼ半数である。現在の現住陪餐会員は85001人。教会数は2005年に最大数の1732であり、現在1714であるから余り減少してはいない。
 1961年の宣教基本方策によって、教団は外向きになり、しかしそのことによって教団は混乱を起こし教勢の低迷を来したという分析があるが、それは正しくない。
 現在の財政的課題は、地方の小規模教会が信徒数減少によって活動を維持できなくなりつつあることだと思った。
 大雑把に言えば、都市部の教会及び教区が地方の小規模教会及び教区を財政的に支える体制を作ることが火急の課題であると思った。小さな教会が個別に消滅していくことはなんとしても避けたい。

 

〈2015年11月29日週報より〉

 今日から12月24日までアドベントが始まる。この期間は悔い改めの期間とされているが、この世と自分自身をしっかりと見つめて過ごしたいと思う。これは勇気がいることだと思うが、わたしたちがこの世と自分自身の闇をしっかりと見つめることができれば、そこに光を見出すことができるのだと思う。


〈2015年12月22日週報より〉

 11月に入り街を歩くとすでにクリスマスツリーを見ることがある。ツリーは本来12月24日に飾るものであった。それが20世紀に入って、クリスマスはビジネスチャンスとなり、ツリーが飾られる日はだんだんと早くなっていったようだ。

 来週から待降節(アドベントが)始まる。わたしたちは、この期間を悔い改めの期間としてしっかりと守り、そして、クリスマスを迎えたいものだと思った。


〈2015年10月25日週報より〉

 ある人から「なぜ牧師になろうと思ったのか?」と訊かれて上手く答えることが出来なかった。

 使命感など無かった。あえて言えば挫折が原因だ。「自分は上等な人間ではない」と痛切に思ったことが、牧師になろうとした理由であるような気がする。半分逃げるようなことだが、自分が上等な人間であることを示すために四苦八苦することは不可能であると痛感したことは、今考えると幸いなことだったと思う。その頃のわたしにとって、破れをそのままで笑いあうことができたのが、教会であった。 

 K.バルトが「ロマ書講解」で「彼(パウロ)は、彼に有るものによってではなく、無いもの(飢えて、渇望しているもの)によって使徒としての任務を果たそうとしている。」と最初のページで書いているように、無いものによって牧師の任務を果たそうと思う。今日は神学校日。牧師を志す方々に主の祝福がありますように。


〈2015年9月20日週報より〉

 昨日9月19日、安全保障関連法案が参議院本会議で可決されてしまった。

・今朝の63歳の爺の願い

 国会議員のみなさん、あの時、わたしが2歳だった時にはこうだったんです。どうぞこの決議に立ち返って下さいな。わたしは63歳になる今まで戦争に行かなずにすみ、平和に暮らすことができた。

 若い人たちにもそういう人生を送らせて下さいな。

第19回国会 昭和29年6月2日 参議院本会議「自衛隊の創設に際し、現行憲法の条章と、わが国民の熾烈なる平和愛好精神に照らし、海外出動はこれを行わないことを、茲に更めて確認する。右快議する。


〈2015年7月19日の週報ですが横野牧師に許可を頂いてからの掲載で遅くなっています。〉

710日に番町教会の横野朝彦牧師のつれあい安子さんが亡くなり、14日に葬送式が行われた。安子さんとは岡山の時代以来、ずいぶん親しくさせてもらった。 葬儀の司式は横野牧師がされた。式辞で横野牧師はマルチン・ ルターの有名な言葉「明日、世界が滅ぶとも、今日、わたしはリンゴの木を植える」を紹介されて、次のように付け加えた。
 「彼女は最後まで木を植えていました。そして、この植えられた木は、今ここにいるわたしたちが忘れてしまったとしても、どこか思わぬところで実を結ぶのではないでしょうか」
   
横野牧師は、M.ルターの言葉によって「安子さんは、最後まで為すべきことを精一杯やりとげた」と言いたかったのだろう。そして、言葉を付け加え「その人の行いは神の永遠の業によって死をもって終わるわけではない」と言いたかったのだと思った。「わたしは、どのようなりんごの木を植え続けているのだろうか」と思いながら家路についた。


〈2015年8月23日週報より〉

今朝の聖書の箇所(マルコ福音書13章32~37節)にある「目を覚ましていなさい」とは、「本気で神に応答し続けなさい」ということではないだろうか。

敗戦記念日に、ドイツの一人の高校生がインタビューに答えて「大戦中のドイツの行為に責任を持てと言われても、正直に言ってわたしにはその実感がありません。しかし、わたしはドイツの未来に責任があると思っています」と答えていた。さわやかな回答に目が覚める思いがした。

「未来に」という言葉を「神に」という言葉に言い換えることができるとすれば、彼女には損ないようのない希望が存在しているのではないか、と思った。

「終末の時・歴史の完成の時を信じるか」とは、神が必ずわたしたちをその時に導かれることを信じることであると思う。


〈2015年8月16日週報より〉

敗戦記念日という言葉には、戦争を開始した政府に対する非難と怒りがこめられているいるように思う。政府は敗戦という言葉は使わず、終戦という言葉に固執する。
 ところで、わたしは8月15日を戦争が終わった日と思えないでいる。ゲリラ戦を命じられた沖縄では9月7日まで戦闘が続いた。
 同じくゲリラ戦を命ぜられたサハリン(樺太)では8月25日までソ連軍との戦闘が続いた。
 宗谷岬の丘に「九人の乙女の碑」がある。樺太の真岡電話局で9名の若い女性電話交換手が、「皆さんこれが最後ですさようなら」と打電し、青酸カリで自決したことを知る碑で自決の日は8月20日だった。8月22日には3隻の樺太引揚船が潜水艦に攻撃・撃沈されて1708名が亡くなった。引き揚げ船への乗船は日本人が優先されたので、多数の朝鮮人が故郷に戻れず取り残された。
 余りに多くの15年間の戦争の犠牲に、樺太のことはもはや北海道に居る者にさえも「わずかなこと」として忘れ去られようとしている。
 せめて牧師として樺太に在った教会のことだけでも記録として残したいが、この作業も資料が不足して遅々として進んでいない。8月は、忘れてはいけないことを思い起こさせる月だ。 

〈2015年8月2日週報より〉

平和聖日は、1954年10月に開催された第8回教団総会において、東海教区、九州教区などから原水爆の実験と使用禁止に関する3つの建議案が提出され、1962年10月の第12回教団総会において西中国教区の「平和聖日制定に関する建議」が提出されたことにより、採決の結果過半数の賛成によって「毎年8月の第1日曜日を平和聖日とする」ことが可決された。 西中国教区の提案には次のような言葉がある。
 「わたしたちは全国の主にある兄弟姉妹が同時に平和の福音に耳を傾け、世界平和と核兵器禁止のために祈りを捧げることの重要さを思うものである」
 更にこの年12月に開かれた臨時常議員会では「憲法擁護に関する声明」が可決された。いづれも、この世に向けた重要な教団決議であると思う。全国の教団の教会と共に、今日の平和聖日を守りましょう。

〈2015年7月5日週報より〉

 集団的自衛権の行使容認を含む「安保法案」を読んでみた。6月4日、衆院憲法審に於いて自民・民主・維新が推薦する参考人3人全員が「法案は憲法に違反する」との認識を示した。「当然の意見だ」と思った。

 アメリカが世界中でする戦争に自衛隊を参戦させようとするのがこの法案の意図であると思う。第二次世界大戦終結から70年。法案推進者はもう戦争の悲惨を忘れてしまったのだろうか。元陸軍伍長・近藤藤一さん(95歳)は中国と沖縄の最前線で戦った。「300万人が犠牲になってようやく憲法9条を得たのに、なぜまた戦争のできる国にならなければいけないのか」(昨年5月の朝日新聞)戦闘を体験した方の言葉は重い。


〈2015年6月7日週報より〉

わたしは、どうしても聖書の解説をする時に「聖書は人間が書いた」ことを前提にしてしまう。「書かれていることを理解する為にこの箇所が、どのような状況下で、何の必要があって書かれたのか」を探ることが大切だと思うからだ。聖書を読む時には、「ではおまえはどうなのか」とわたしの信仰が問われるのだが。


〈2015年3月1日週報より〉

レント(受難節)随想 2

 時々、「2000年前に死んだパレスチナ人の一人の男とわたしは何の関係があるのだ」と思う時がある。イエスの弟子たちも、そう思いたくなるギリギリのところに居たのではないかと思う。

 ところが、弟子たちはイエスの死を神の業のうちに見出した。「(イエスという男は)神に見捨てられたかのようで、実は神に祝福された人だったのではないか」と思うようになった。

 おそらく自分の十字架を自覚しない限り、イエスとわたしは何の関係もないのだろう。自分自身を見つめる受難節としたいものだと思った。


〈2015年2月22日週報より〉

 レント(受難節)随想

10数年前、鬱(うつ)で苦しんでいたときに受診している医者から「もう大丈夫ですよ」と言われたことがある。「あなたは自分が行き詰っているということを自覚している。だからもう大丈夫です。

「行き詰っているから診てもらいに来ているのではなかったか」と思ったが、だんだんその意味が分かってきた。

レントは克己の時、悔い改めの期間と言われて、皆は、お酒を断ったり、楽しみごとを断っている。

わたしはそんなことをするよりは、自分自身をしっかりと見つめる期間としたい。これは案外難しい。

そして勇気が要ることだ。この期間に聖書もきちんと読みたい。イエスの受難と復活の記事は、わたしに他では味わえない慰めを与えてくれる。

〈2014年12月29日~30日 寿地区〉
夜9時寿公園集合の夜間パトロールに参加させてもらった。
寿地区周辺の班と横浜駅周辺の班の2班に分かれ、横浜駅でまた2班に分かれると一班は4~5人になった。
 わたしは横浜駅周辺の一番長く歩くKM班に「おれ行く!」と応募した。応募の理由は服装を甘く見ていて寒かったから。歩けば暖かくなるだろう。
 スープが入った保温式寸胴鍋を二人で持った。片方の人は数日前に野宿していると「寒くないか?」と声をかけられて毛布をもらった人だった。...
「嬉しかったから・・・おれも参加しようと思って」

 夜10時の横浜駅は、宴会帰りの人たちの雑踏。

皆きれいな服を着て早足で家路についている。寸胴鍋の片方を持って毛布を首に巻いたわたしの姿はその雑踏の中でかなり違和感がある。
「こんな明るい照明の人ごみの中で野宿始めようとは思わないだろう」と私が呟くと
「いや、駅のあそことあそこが朝まで一番暖かいんだよ」
彼は横浜駅の野宿事情にとても詳しい。経験者だからだ。
結局、その夜は「立入禁止」と書かれた公共施設の敷地に寝ておられる方二人にスープと若干の下着をあげ、しばらく世間話をしたのがお会いできた方たちだった。
「毛布要りますか?今日は寒いみたいで」
「いや、僕は十分あるから他の人に回してやってください」
 夜間パトロールが終わって時間を見ると1130分で家には帰れない時刻になっていた。
寿町に戻ってドヤを探し、寝た。
 学生時代に何度か泊まった「ドヤ」と呼ばれていた釜ヶ崎のホテルと比べると圧倒的に快適なホテルだ。3畳間の広さはなんとなく落ち着く。しかし、一人で布団に寝転がっているとなんとも言えぬ寂しさが襲う。世間から取り残されたような気持になる。
 次の日、炊き出しの仕込みが始まる朝9時にずいぶん遅れて寿公園に行ってみると、その日の朝に市原を出発した京葉中部教会の信徒さんたちが居た。
 仕込みを手伝う気も無くぼんやり公園脇の道路に突っ立っていると、「あ、先生、すっかり寿町に馴染んでしまって分からなかったですよ」と笑われた。
 「いや馴染んでないんですよ」
「馴染んでないんですよ」に続く言葉は何だったのだろうか。
「わたしも明日になったらあの駅の雑踏の一人になるんだから」


〈2014年9月21日週報より〉

 比布大雪PA。 日本で最北端にあるパーキングエリアなのだそうだ。自宅から180数km先の士別教会の代務者をしていた時、わたしはよくこのPAのトイレを利用した。

トイレは、毎回とてもキレイに清掃されていた。

 ある時、ドアを開けると二十歳くらいの女の子の姿が見えた。彼女は四つん這いになって一生懸命にトイレの床を拭いていたのだった。「ここのトイレがいつも綺麗な訳が分かったよ。いつもどうもありがとう」と挨拶すると彼女はにこっと笑い「いいえ」と小さな声で応えて姿を消した。

「いいかげんな仕事をしたものだ」と後悔する時にいつも、四つん這いになってトイレの床を拭く彼女の姿を思い出す。 

 

〈2014年3月23日週報より〉

3月、卒業式の季節。公立学校の教師をしている友人たちから心が痛む便りが今年も届く。国歌の斉唱問題だ。国歌・国旗法案審議時に小渕首相が繰り返し「強制はしない」と言っていたはずのものが、今、各地で教育委員会と校長たちによる国歌斉唱の強制が続いている。声を出しているかどうかさえチェックしているそうだ。教育と学問の現場に国家からの自由と独立が保障されなくては、また戦前の過ちを繰り返してしまうのではないか。なにかとても心配な状況である。

 

〈2014年3月16日週報より〉

 今週は、3月末の締切が迫る富坂キリスト教センターの論文書きで終始した。「3年間研究費をもらって一体何をしていたのだろうか」と思うほどのていたらくに嫌になる。

 原稿書きで今、昼なのか夜なのかもはっきりしない一週間を過ごしているうちに曜日の感覚がなくなったのだろう、昨日の夜7時頃になって、靴屋で買い物をしているときに今日は土曜日であることに気が付いた。朝から、「今日は金曜日だ」と思い込んでいた。あわてて家に引き返した。

 日曜日の朝になって気が付くよりは良かった。神様に「まあ、がんばれや。あと12時間の余裕をあげるから」と言われているような気がした。

 

 〈2014年2月16日週報より〉

 30数年間毎週繰り返して来た説教。

 礼拝説教の任務は、聖書の解説だと思っているのだが、聖書に示されている真理は、常にわたしの外に存在して、常にわたしに「分からない」という感情を起こさせる。

 分からないことに取り組んで、毎週日曜日ごとに分かった気持ちになるかというと、そうではなく、 常に「分からない」という感情が残る。これを30数年繰り返している。今朝もそうであった。

 

〈2013年8月25日週報より〉

 昨年冬、「パソコンを買ったけど、パソコンとプリンターを置く机と台が必要だ」

という話になり、3万円ほどの予算で机を探したが、なかなか良いのがない。

結局、自作することに。(材料費2万円ほどでした) 

幼稚園の夏休み中に礼拝室を散らかして、なんとかほぼ完成した。 
 

〈2013年8月18日週報より〉
先週の89日に休みを頂いて長崎に行き、大学時代の先輩に案内されて浦上天主堂に行った。

 
 原爆で破壊された天主堂は今は無く、その場所には新しい天主堂が建てられている。

「長崎には広島の原爆ドームのような遺構が無いね」と言うと、先輩は「この天主堂がそうなるはずだった」と言いながらこう説明してくれた。

 
 原爆で破壊された後も、浦上天主堂の信者たちは天主堂に集まって礼拝を続けていた。

長崎市民の天主堂を残そうという動きもあった。

 ところが、1958年(昭和33年) 218日、 長崎市議会臨時会が元浦上天主堂の

保存決議案を可決したにもかかわらず、天主堂は314日に突然撤去された。

その間、市長(田川務)は、アメリカに呼び出されていたと言うのだ。

 アメリカ政府は「原爆がキリスト教会を破壊した」との批判(アメリカ国内の批判)を

恐れたのだろうか。アメリカ政府は何を怖がったのか。

たった3週間の間にいったい何が起こっていたのだろうか。

 

〈2013.8.4週報より〉

 福島原発事故があった時、佐藤さん一家は原発近くの双葉郡楢葉町に住んで居られた。

努さんは施設のご老人と一緒に、バスのガソリンの残量を気にしながら、避難所を転々としなければならなかった。

妊婦だった由紀子さんと長女の藍ちゃんは親戚の家に預けなければならなかった。

突然住み慣れた故郷を去る悲しみを一杯抱えた避難だったと思う。

 とうとうこの町に落ち着き先を見つけ、2年半が経った。

その年の初夏に生まれた次女の響ちゃんは、この町が生まれ故郷になった。

 3日、佐藤さん一家は福島県いわき市の仮設住宅に引越しをすることになった。

故郷に少し近づいた。

「ここで様々な人と出会いました。悲しみを福島から持ってきてしまったのに、

喜びを頂いて福島に帰ります」

 努さんはわたしの家にそう書き置きしてくださった。

この2年間何も出来ずに申し訳なかった。

そういう思いで一杯だが、4人ともどうぞお元気で。

 

 

〈2013.5.19週報より〉

 牧師は、ただ今「教師の友」の特集「共に生きる」の4600字原稿を執筆中。

今週中に提出しなければなりません。(締切はとっくに過ぎております)お祈りください。

〈2013.4.14週報より〉

 また教会の庭に咲く満開の桜の写真を撮り忘れた。

毎年「なんて見事な桜なんだ」と思いながら、写真を撮るタイミングを失う。

桜が全部散ってから「撮っておけばよかった」と思う。

これを3回繰り返している。

 教会の庭の写真のことに限らず、わたしの人生は、こういう「手遅れ」の

後悔が多すぎるような気がする。

 「おはよう」とマリアに声をかけたイースターの朝のイエスも、

こんな風に後悔している弟子たちに声をかけたのだろう。

 

〈2013.2.17週報より〉

 今朝は、受難節第一主日です。

受難節は、四旬節・レントとも呼ばれ、イエスの十字架の受難を覚えて

悔い改めの40日間を過ごす期間です。

「悔い改めをする」とは、「反省をする」というよりは、

深く神と自己を見つめるという意味です。

神の方向に向き直ることです。

 

〈2013.1.20週報より〉

 先週は、福島県牧人会施設に除染に行く予定であったが、施設より「今積雪が40センチほどあり、

気温が上がらず、雪が解けない。道路も凍結しているから来ない方が良い。」と連絡があり、

しぶしぶこれを了承。

「道産子の私が積雪40センチで予定を中止するとは情けない」と先週はちょっと機嫌がわるかった。 

 

カーテンや炊飯器カバー製作中です
カーテンや炊飯器カバー製作中です

【信徒より・・・上記のように除染の日程が延期になり、

ぽっかり空いた2日間牧師は休まず 信徒の会「サフラン」

(手作りの会)の為に収納の棚を作っていたのです。

1年位後にでも出来あがるかな? と思っていたのに

お聞きしてから2週間で棚が出来上がりました。

 本棚のように見た目にも凝っている棚を礼拝前に見つけ

「残念!ミシンが入らない。棚板直してなんて言えないよな・・」と

思っていたら礼拝後に「棚板の位置はいつでも直しますから」と

おっしゃった。

直ぐお礼と「ミシンが入らないのですが・・・」と申し上げる事が出来ました。 

収納棚にはもったいないような棚には「教会備品」とラベルを

              貼らないと・・・サフランにとっては除染の延期は

              とても有り難い事でした。】感謝(^.^)  

 

 

〈2013.1月6日週報より〉

 クリスマスツリーはいつから飾り、いつ片づけるのか。

 クリスマスツリーは「キリストと時」の本で有名な O クルマンの「クリスマスの起源」によれば、16世紀のドイツでクリスマス・イブの晩に教会の前で演じられた創世記の「失楽園」の舞台装置であった。イエスに罪許された喜びをツリーで現した意味を大切にすれば、12月25日から飾る方が良いみたいだ。

 イギリス・ドイツ・フィリピンの友達に訊いてみると、やはり「24日の晩に飾る」と教えてくれた。そして、いつ片づけるのか。これも「6日の公現日まで」という答えが多かった。

おそらく博士たちが目指した星をツリーのてっぺんに飾るのが今日なのだろう。

 

♪♫主を待ち望むアドヴェント第3のロウソクともそう
♪♫主を待ち望むアドヴェント第3のロウソクともそう

〈2012.12.16週報より〉

 米国で銃の乱射事件が続き、心が痛む。なぜこんな事件が続くのか。

ベトナムで戦った元海兵隊員の友人アレン・ネルソンが、

「分かるか?日本の国の子どもたちの顔は違う。

戦争をしていない国の子どもたちの顔なんだ」と言ったことを思い出す。

 武器で解決するという手段を持たなかった戦後日本の歴史と

社会は誇りに思うが、今、「アメリカと違って、日本の国はいい」

などとは決して言えない。

戦争をしたい人たちは日本にもいる。

「戦争をしない国の歴史を続けよう。そのために努力しよう」と投票日の前の日に思った

♪♫主を待ち望むアドヴェント最初のロウソクともそう
♪♫主を待ち望むアドヴェント最初のロウソクともそう

〈2012.12.2週報より〉

教会歴によって、今日から待降節(アドベント)が始まります。

アドベントとは「来る」という意味です。

神様からの一方的な救い主のプレゼント。

わたしたちは大切なお客さんが来られるつもりで

準備して待ちたいものです。

わたしたちの闇をしっかり見つめながら、この時期を過ごしましょう。

 

〈2012.11.25週報より〉

 中島みゆきの「世情」という曲をインターネットで聞いてると、突然、知らぬ方から

「1960年代、わたしは『われわれ』と言っていました。しかし、今は『わたし』としか言わなくなってしまいました。」というコメントが入ってきた。

ちょっとショックだった。わたしの礼拝中の説教も、「われわれ」という言葉が少なくなってきたのではないか、だんだんと個人主義的な信仰しか語らない傾向になってきたのかもしれない、と思った。

 わたしと神様の関係には関心があるが、わたしたちが神様に応答して何をするべきか、きちんと考えているのか。

 石丸実牧師が教会の初めに厳しく問うた「隣り人」とは誰か、「共同体」とは何を指すのかの問いを

もう一度思い起こした。

 

サフラン〈雅歌4:14〉
サフラン〈雅歌4:14〉

〈2012.11.18週報より〉

先週水曜日に突然イスラエル軍がパレスチナのガザを空襲し始めた。

軍事力の差がありすぎて、戦争や紛争にはなりえない。

攻撃が一旦始まると、常に犠牲になるのはパレスチナの市民である。

死者は30人を超えている。

土曜日になってガザの様子が次々と配信されてきた。

傷ついた子どもたちを抱えて走る大人たちの写真。

彼らが子どもを抱えて走る先のひとつは、アハリー・アラブ病院だろう。

病院が今どうなっているのか、連絡はない。

せめて病院だけは攻撃目標にしないで欲しいと思った。

〈 2012.10.28週報より〉

先週は、福島原発から20Kmのところにある楢葉町に出かけてその町の浄土真宗宝鏡寺の

住職にお会いしてきた。

事故の前は豊かな水田地帯だっただろう、しかし今はその水田にセイタカアワダチ草が生えて

町にはほどんど誰も居ない。

「復興とか復旧という言葉を聞くと悲しくなります。この地域は崩壊して元に戻ることはありません。」

「わたしは余生を『二度と福島を繰り返さない』ために捧げます。」

住職は長年原発反対に力を尽くしてきた。

事故が起こると「寺の坊主が一番最初に逃げてどうする」と言って寺に留まった。

除染活動が始まると一番最初に汚染土の仮置き場として寺の土地を提供した。

静かな、しかし宗教者としての気概を感じる人だった。

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