「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」 〈マタイ11:28〉
「主の祈り」
天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧(かて)を、今日(きょう)も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。
我らをこころみにあわせず、悪より救いいだしたまえ。
国とちからと栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。 アーメン
聖書 コリントの信徒信徒への手紙 15章35節〜52節
説教「今、ここから」 伊勢 希牧師
しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。
愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。
あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。
神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。
どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。
また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。
太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります。
死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、
蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。
つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。
「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。
最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。
最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。
土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。
わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。
兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。
わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。
最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。
聖書 ローマの信徒への手紙 8章18節~25節
説教「呻きから生まれるもの」
□ぶどうの会
9月17日(水)10時 松永さん宅
□ヤスクニ学習会
9月18日(木)17時 京葉中部教会
*誰でも参加可能です。ぜひおいでください。
□信仰告白講座③
9月21日(日)礼拝後 礼拝堂
□新聞委員会
9月21日(日)講座後 牧師室
□牧師夏期休暇
9月22日(月)~28日(日)
礼拝説教は三吉信彦牧師にお願いしています。
□俳句の会 兼題:無花果・重
9月28日(日)礼拝後 センター室
牧師予定
□内房分区教師会
9月16日(火)13時 美浜教会
□千葉支区 三委員合同委員会
9月18日(木)14時 京葉中部教会
読書会
次回読書会は10月3日(金)19時からです。テキストは「感じるオープンダイアローグ」森川すいめい著、講談社現代新書です。ぜひご予定ください。
聖書:コリントの信徒への手紙Ⅰ 1章10節~17節(299頁)
説教:「一致できるのか」」伊勢希牧師
讃美歌21:58、411、91
交読詩編:詩編147編 1節〜7節
(礼拝当番)
司会:石井 浩 奏楽:木地知恵
受付:山下義典 子守:三上佐和子
献金祈祷:高畠房美
子どもの教会お話し:山本友子
礼拝後の予定
・信仰告白講座③
・新聞委員会
船越亜弥チャリティーコンサートのご案内
2024年,2025年NHKニューイヤーオペラコンサートの出演でも著名な船越亜弥さんのチャリティコンサートを開催いたします。ご来場をお待ちしてます。